日本海に面し、かつて松江藩や津和野藩、浜田藩などがあった島根県。
天守が現存する国宝・松江城をはじめ、ファンの間では難攻不落の山城と名高い月山富田城など、魅力的な名城があります。
城下町とセットで観光することができるお城もあり、お城が好きな方も、そうでない方も存分に歴史ロマンと城郭のすばらしさに触れることができます。
島根県の城郭を堪能する旅へ出かけませんか。
本記事では、島根県の名城についてご紹介していきたいと思います。
松江城
全国に12しかない現存天守を持ち、さらにそのなかでも5つしかない国宝に指定されている松江城。
城下町の情景を色濃く残す松江のシンボル的存在であり、多くの観光客が訪れる人気の観光スポットです。
実は法改正に伴って一度国宝から外されてしまっていたことがあり、祈祷札とそれを掲げていた釘の跡や資料などから築城年代が明らかになり、国宝に再指定されました。
松江城は関ヶ原の戦いの直後に出雲隠岐24万石を任された堀尾氏が築いた実戦的な近世城郭。
堀尾氏のあとは京極氏や松平氏が城主を務めました。
石垣の上にある狭間から弓矢や鉄砲で集中的に攻撃できる防御機構である「馬溜(うまだまり)」や、天守内部にある井戸などが見どころ。
天守は附櫓が付いた複合型天守で、直接天守へ侵入できない構造になっています。
松江城築城当時は日本中で築城が盛んであったことから建築資材が不足していた時代で、月山富田城から運び込まれたとされている「富」が刻印された木材からもその状況がよく伝わってきます。
松江城を訪れる際は城下町も一緒に観光すると、より江戸時代の松江藩の雰囲気を味わうことができるかもしれません。
月山富田城
安来市にある月山富田(がっさんとだ)城。
ファンの間では難攻不落の山城として知られている名城で、年間2万人もの観光客が訪れています。
月山富田城が立つのは標高190メートルほどの月山(がっさん)。
東京ドーム約15個分という圧倒的な規模を誇り、土で防御機構を構築していた中世城郭から石垣で城を護る近世城郭への変遷を感じられる貴重な遺構でもあります。
「たたら製鉄」で富を築きここらの地域一帯で大きな力を持っていた尼子氏の居城であった月山富田城は、月山の地形を巧みに利用し数々の実戦的な仕掛けを施した非常に堅牢なお城。
国内に残る数々の山城の遺構のなかでも、その守りの堅さは群を抜いている、まさに難攻不落の山城です。
毛利氏が中国地方平定の際に尼子氏を下して山陰を手中に収めた「月山富田城の戦い」にもその守りの堅さが現れています。
毛利氏は2万5千もの大軍を率いて月山富田城へ攻め入りますが、力攻めでの攻略は敵いません。
毛利氏は戦略上で非常に重要な白鹿城を含む周囲にある尼子氏の支城を落とし、兵糧攻めへと持ち込みました。
それでも尼子氏の降伏には実に1年6ヶ月もの歳月が費やされ、いかに攻め難い城であるのかがうかがえます。
麓から本丸までは約1時間、中腹にある駐車場からは30分ほど山道を登らなければなりませんが、ぜひ難攻不落の山城を体感してみてください。
津和野城
西周や森鴎外が学んだ藩校・養老館がある「山陰の小京都」津和野にあるお城。
13世紀に吉見氏によって築城されたもので、現存する遺構の大部分は関ヶ原の戦い以降に入城した坂崎氏が改修したものです。
標高362メートルほどの霊亀山に築かれた山城で、貞享年間に起きた落雷で建物のほとんどを焼失してしまいましたが、石垣などの遺構はほとんど完全な状態で残されています。
城が霧に包まれる幻想的な風景が有名なほか、秋には美しく色付いた紅葉を鑑賞するのもおすすめ。
太皷谷稲成神社の参道からリフトに乗り、さらに20分ほど登った先にある頂上付近では、周囲の山や川、津和野のまちを一望できます。
浜田城
亀山城とも呼ばれていた浜田城。
関ヶ原の戦いのあとに吉田氏によって築城され、吉田氏が改易されてからは松平氏や本多氏が治めました。
浜田城は幕末に起こった第二次幕長戦争の舞台となったことで有名。
幕府軍と大村益次郎率いる長州軍がぶつかり合った浜田城は最終的に城兵自ら城下町を焼き払う「自焼退城」を行い、天守も明治時代に入ってすぐに起こった地震によって倒壊してしまいました。
建物は残っていないものの石垣などの遺構は現在も見ることができ、頂上からはかつて北前船が出ていた海が見えます。
麓にある資料館にもぜひあわせて足を運んでみてください。
まとめ
島根県の名城についてご紹介しました。
貴重な現存天守を持ち国宝にも指定されている松江城や、鉄壁の防御を誇る月山富田城など、個性的な魅力にあふれた名城が残る島根県。
特に松江城や津和野城はその城下町にも江戸時代の雰囲気が色濃く残っており、セットで観光すれば当時の様子を感じることもできます。
ぜひ島根県で名城の数々に触れてみてください。