富山県高岡市に位置する勝興寺。
加賀百万石で知られる加賀藩11代藩主・前田治脩(はるなが)が住職を務めていた期間があることで知られるお寺で、本堂、大広間、式台は国宝に指定されており、その他10棟の建物も国の重要文化財に指定されています。
また、勝興寺には七不思議が伝えられており、境内にはそれらを示す場所が点在しています。
七不思議を紐解きながら境内を散策するのも楽しいですね。
本記事では、勝興寺の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。
勝興寺へのアクセス
まずは、勝興寺へのアクセスについて見ていきましょう。
最寄り駅であるJR氷見線の伏木駅から勝興寺までは、徒歩5分ほど。
北陸新幹線の新高岡駅からは、加越能バスに乗り換え、伏木駅前で下車し、徒歩4分ほど。
あいの風とやま鉄道の高岡駅のからも、加越能バスに乗り換え、伏木駅前で下車します。
電車やバスでのアクセスも良いので、気軽にお参りできます。
前田氏と勝興寺
勝興寺は古代、行政を敷いていた越中国府があった場所に建っているとされており、伽藍の中にはここに赴任していた歌人・大伴家持の歌碑があります。
この地の浄土真宗の拠点として栄えてきた勝興寺は、加賀藩10代藩主・前田吉徳(よしのり)の十男として生まれ、後に11代藩主となった治脩(はるなが)が住職を務めていた由緒あるお寺。
家督を継ぐ可能性が限りなく低く、幼いころから仏門に入っていた治脩ですが、兄たちが相次いで亡くなったことにより還俗して加賀藩を継ぐこととなりました。
この際、本堂の建て替えに加賀藩も大きく関わったことから、勝興寺は前田氏とは切っても切れない関係にあるお寺となっています。
勝興寺の見どころ・七不思議
さいごに、勝興寺の見どころや、勝興寺に伝わる七不思議について見ていきたいと思います。
本堂
江戸時代後期の典型的な大型の本堂の建築様式。
住職を務めた前田治脩(はるなが)が還俗した際に本堂の建て替えを依頼し、加賀藩も大きくそれに携わり、当時勢力を拡大していた浄土真宗の門徒へ本願寺が寄付を促したそうです。
それらの歴史的背景が評価され、国宝に指定されています。
この本堂の建造に関するバックボーンもそうですが、装飾彫刻なども素晴らしく、非常に見ごたえのある建築です。
大広間・式台
菊と桐の鮮やかな紋様が入ったふすまが鮮やかな大広間と式台。
こちらも歴史的背景などが評価され、国宝に指定されています。
歴史の長さとお寺の規模の大きさが感じられる建物です。
勝興寺に伝わる七不思議
ここからは、勝興寺に伝わる七不思議についてご紹介していきましょう。
七不思議①「実ならずの銀杏」
本堂の前に植わっているとても大きなイチョウの木です。
昔はたくさん銀杏の実が生ったそうですが、実を取ろうとして木から落ちてけがをしたり、実を取り合ったりするといったことが相次ぎました。
そこで、実が生らないようにと祈ったところ、翌年から本当に実が生らなくなったそうです。
七不思議②「天から降った石」
国分の浜に天から落ちてきたと伝えられています。
不思議なことに夜になると波が打ち寄せるような音がするので本堂の前に置いてみたところ、その音は止まったそうです。
七不思議③「水の涸れない池」
経堂の横にあります。
昔は火災が多かったため、木造建築のそばに池を配置することが多かったそうです。
経堂の軒下に竜の彫刻があり、その竜が夜の間に雨を呼ぶことから、この池の水は涸れることがないと言われています。
七不思議④「屋根を支える猿」
本堂を支える四隅の柱の上部、軒下のあたりに屋根を支える猿(あまのじゃく)がいると言われています。
書院の中にその彫刻のレプリカがあるので、ぜひゆっくりと鑑賞してみてください。
七不思議⑤「魔除けの柱」
本堂内部の左奥の柱。
完成直後から朽ちていってしまうと考えられていた木造建築には、どこか未完成なものを意図的に残しておく風習がありました。
この「魔除けの柱」はわざと上下を反転させて使用しているそうです。
七不思議⑥「雲龍の硯」
蓮如上人が愛用していたと伝わる硯。
中に水を仕込んでおく部分があって、書いても書いても水が湧き出てくる不思議な硯のように見えていたそうです。
七不思議⑦「三葉の松」
普通の松の葉は2つに分かれているのですが、この松の木の葉は3つに分かれていることから、その名が付けられました。
とても珍しいものなのだそうで、お財布に入れておくとご利益があるそうです。
なお、松の葉は落ちているものを頂きましょう。
まとめ
勝興寺の歴史や見どころについてご紹介しました。
加賀藩や前田氏との関わりの深い、由緒ある勝興寺。
境内の七不思議に触れながら、国宝や重要文化財に指定されている建物をじっくりと見てまわってみてください。