2000年以上の歴史を持ち、越前国一之宮、そして北陸総鎮守とされている福井県敦賀市の氣比(けひ)神宮。
地元の人々からは「けいさん」の愛称で呼ばれ、親しまれています。
また、江戸時代の俳人・松尾芭蕉との関わりがある場所としても有名。
彼の紀行文「おくのほそ道」のなかにも氣比神宮を詠んだ句がいくつか残されており、境内には芭蕉の句碑や銅像もあります。
北陸新幹線の延伸で注目を集める敦賀を代表するパワースポットです。
本記事では、氣比神宮の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。
氣比神宮へのアクセス
まずは、氣比神宮へのアクセスについて見ていきましょう。
気比神宮の最寄り駅はJR敦賀駅で、駅から境内までは徒歩15分、もしくはバスで5分ほどかかります。
東京駅から敦賀駅までは、北陸新幹線で3時間10分ほど。
大阪駅から敦賀駅までは、特急サンダーバードで2時間ほどです。
どちらも乗り換えが無くスムーズに移動できます。
氣比神宮の歴史
では、氣比神宮の歴史について見ていきましょう。
衣食住や海上安全、農漁業などを司る伊奢沙別命(いざさわけのみこと)という神様をお祀りし、北陸総鎮守として上古から信仰されてきた氣比神宮。
古くから皇族との関わりも深かった氣比神宮は文武天皇の時代になると、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おうじんてんのう)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、玉姫命(たまひめのみこと)、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)の6柱を合祀し、7柱の神様をお祀りする神社になります。
古代、越前国は渤海使とのパイプラインとなる重要な外交拠点で、氣比神宮の宮司もこれに関わっていたようです。
南北朝の争乱、織田氏と朝倉氏の戦乱などを潜り抜けた氣比神宮は徐々に衰退していきますが、江戸時代に入るとこの土地を治めることとなった結城秀康の寄進等によって再興されました。
氣比の長祭(けえさんまつり)
9月に行われる、北陸を代表するお祭りである氣比の長祭。
地元では「けえさんまつり」の呼び名で親しまれています。
9月2日から15日にかけて約半月を要して行われるため、その名が付いたそうです。
また、境内やその周辺には露店が軒を連ね、他府県からも多くの観光客が訪れて大変にぎわいます。
お祭りのシーズンは大変混雑しますので、新幹線やホテルなどを早めに手配しておきましょう。
氣比神宮の見どころ
さいごに、氣比神宮の見どころについてご紹介していきたいと思います。
大鳥居
高さ10メートルを超える大鳥居。
奈良県の春日大社、広島県の厳島神社の大鳥居とともに、日本三大木造大鳥居とひとつに数えられることもあるそうです。
鮮やかな朱塗りの大鳥居は周囲の緑とのコントラストも美しく、迫力ある佇まいです。
国の重要文化財に指定されています。
社殿
朱塗りの柱と白塗りの壁が印象的な社殿。
祭祀などが執り行われています。
長命水
最初、伊奢沙別命のみをお祀りしていた氣比神宮ですが、1300年ほどまえからは文武天皇の命により他6柱の神様を合祀して御祭神を7柱とするようになります。
その際に社殿の修営をしていたところ、突如噴き出してきたのがこの「長命水」。
この地下水は御神徳が宿る水であるとされ、合祀された神様のなかでも特に武内宿禰命が長命な神様であったことから「長命水」と呼ばれるようになりました。
松尾芭蕉像・句碑
紀行文「おくのほそ道」のなかで氣比神宮を取り上げた句をいくつか記している江戸時代の俳人・松尾芭蕉。
松尾芭蕉の銅像のほか、「国々の 八景更に 氣比の月」の句にちなんで、境内には松尾芭蕉の月や氣比神宮にちなんだ俳句の句碑があります。
角鹿神社
かつて表参道であった東参道口を守護する都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)をお祀りする角鹿(つぬが)神社。
「角鹿(つぬが)」は「敦賀(つるが)」の語源にもなっているそうです。
松尾芭蕉も、「ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月」という句を残しています。
土公
氣比神宮のはじまりの地とされている土公(どこう)。
境内北東部にある旧北小学校のグラウンド内の、大木がある場所です。
気比神宮の主祭神である伊奢沙別命が天筒山に降り立ち、この大木がある場所へ遷座されたと伝えられています。
まとめ
氣比神宮の歴史や見どころについてご紹介しました。
2000年の歴史を持ち、紀行文「おくのほそ道」で知られる松尾芭蕉をはじめ、長く人々に親しまれてきた氣比神宮。
「敦賀(つるが)」の地名の由来に関連する場所もあり、まさに敦賀のはじまりの場所ともいえるのではないでしょうか。
北陸新幹線の延伸により、東京駅方面からも大阪駅方面からも乗り換えなしでアクセスできるようになった敦賀。
敦賀旅行の際には、ぜひ氣比神宮にもお参りしてください。