福井市街地にある福井城跡。
福井藩初代藩主であり、徳川家康の次男でもある結城(松平)秀康が築城したお城です。
越前松平氏が17代に渡って治めたお城であり、現在もまちのシンボルになっています。
福井駅にも近く、市内の主要な観光スポットにも近い立ち寄りやすい立地です。
本記事では、福井城の歴史や見どころ、周辺観光スポットについてご紹介していきたいと思います。
福井城のはじまり
福井城が築かれるまでの越前国の治世の中心は、朝倉氏の居城であった一乗谷城でした。
織田信長によって朝倉氏が滅ぼされた後は、信長の家臣であった柴田勝家が越前国へ入り、北庄城を築きます。
宣教師・ルイス・フロイスの手記によれば、天守は七(九)層にもなる巨大なもので、お城や屋敷の屋根は石で葺かれていたと記しています。
城下町もたいそうにぎわっていたそうで、「鬼柴田」の異名にふさわしい立派なお城であったようです。
織田信長が本能寺の変で亡くなると、柴田勝家は豊臣秀吉と対立。
勝家は妻で信長の妹であるお市とともに北庄城で自害してしまいます。
その後、北庄城には丹羽長秀、堀秀政、青木一矩などが入っています。
関ヶ原の戦いが終わると、大きな戦功を立てた徳川家康の次男・結城秀康が68万石の大封でこの地を与えられ、福井城の築城に着手します。
福井城と越前松平氏
徳川家から紆余曲折あり結城家に養子入りしていた結城秀康は、福井城の築城中に親藩の証である松平姓を名乗ることが許されます。
福井城の縄張りには徳川家康も関与していたとも言われており、築城に際しては全国の大名たちが手伝い普請に呼ばれました。
「北ノ庄」という地名を「福井」と改めたのは、3代藩主・松平忠昌。
「北ノ庄」の「北」という字が「敗北」に繋がることから、「福居」と改め、後に「福井」に転じたとも、福井城内にあった「福の井」と呼ばれる井戸に由来するとも言われています。
福井城の天守は17世後半に焼失してしまいますが、越前松平氏は明治時代まで転封・改易されることなくこの地を治め続けました。
福井城の見どころ
では、福井城の見どころについてご紹介していきたいと思います。
山里口御門
「廊下橋御門」や「天守台下門」とも呼ばれていた本丸西側の門。
枡形門になっており、西側の守りを固める役割があります。
現在は櫓門が復元されています。
御廊下橋
福井城本丸の西側に架かる橋。
藩主が居住していた御座所と呼ばれる場所と本丸を繋いでおり、藩主はここを通って登城していました。
明治時代の写真をもとに復元されており、ほかのお城の橋ではあまり見かけない屋根が付いています。
天守台
桜の名所としても知られている天守台。
かつて本丸御殿があった福井県庁とは御本城橋で繋がっています。
築城当初は四層五階の大きな天守があったようですが、火災で焼失し石垣や堀の実が残されています。
福の井
天守台の下にある井戸跡。
「福井」の名前の由来になったと言われています。
内堀公園
福井城の堀のそばにある公園。
横井小楠と由利公正の像があります。
周辺観光スポット
さいごに、福井城周辺の観光スポットについて見ていきましょう。
福井市立郷土史博物館
代々福井藩を治めた越前松平氏の資料を中心に、城下町の様子や福井県の歴史などに関する資料が展示されている博物館。
福井城本丸の復元模型やCG展示などもあり、見ごたえ満載です。
養浩館庭園(旧御泉水屋敷)
福井藩主の別邸として造られた回遊式林泉庭園。
明治時代に入ってから、松平春獄によって「養浩館」と名付けられました。
空襲によって焼けてしまいますが、国の名勝に指定されたことを契機に整備され、現在のような美しい庭園になりました。
名道館跡
福井藩主で藩の教育に力を注いだ松平春獄建てた藩校。
のちに道場とも併合され、福井藩の文武の教育の拠点となっていきました。
現在跡地には石碑が立っています。
柴田神社(北庄城跡)
織田信長の家臣で、「鬼柴田」と呼ばれ恐れられた猛将・柴田勝家を祀る神社。
勝家が信長の妹・お市とともに自刃して果てた北庄城の跡地に建てられており、お市は近隣の西光寺に祀られています。
佐佳枝廼社
藩祖である松平(結城)秀康、その父にして江戸幕府初代将軍である徳川家康、そしてこの神社を「佐佳枝廼社(さかえのやしろ)」と命名した藩主である松平春獄が祀られている神社。
戦争や福井地震によって焼失してしまいますが、京都の三井家祖霊社を譲り受け、後にこの地へ移転してきました。
まとめ
福井城の歴史や見どころ、周辺観光スポットについてご紹介しました。
結城秀康によって築かれ、現在もまちのシンボルとなっている福井城。
近隣には福井藩や藩主ゆかりの場所、博物館などもあり、あわせて福井の歴史に浸ることができます。
福井市内のほかの主要観光スポットへのアクセスも良いので、ぜひ立ち寄ってみてください。