鎌倉幕府の興隆と衰退―鎌倉のまちと源氏・北条氏ゆかりの地

鎌倉幕府の興隆と衰退 鎌倉のまちと源氏・北条氏ゆかりの地

鎌倉幕府が誕生し、そして滅亡していったまち、鎌倉。

源頼朝が武家政権を成立させ、鎌倉のまちを整備していきました。
鎌倉には、現在もそうした源氏や北条氏にまつわるスポットが数多く残されています。

本記事では、鎌倉の源氏・北条氏ゆかりの地を、それにまつわるエピソードとともにご紹介していきたいと思います。

鎌倉幕府と鎌倉のまち

鎌倉は、かつて源頼朝が開いた鎌倉幕府の本拠地であった場所です。
鎌倉を地図で見てみると、三方を山に、一方を海に囲まれた鎌倉は、まさに守るに易く攻めるに難い地形で、幕府を開くには大変条件の良い場所であったことがわかります。

「いい国つくろう鎌倉幕府」でおなじみの鎌倉幕府は、「幕府」というものの定義に関する解釈の違いなどから細かい成立年は諸説ありますが、12世紀の後半に鎌倉の地に開かれました。

今も鎌倉には、源氏や北条氏ゆかりの寺社仏閣が残っており、海や山の自然とともに悠久の歴史を感じることができる人気の観光スポットです。
鎌倉のまち自体はそれほど大きいわけではないので、観光スポット同士の距離が近く、バスや徒歩で移動できるのも魅力のひとつです。

源氏・北条氏ゆかりのスポット

では、鎌倉の源氏・北条氏ゆかりのスポットについて、そこにまつわるちょっとしたエピソードとともにご紹介していきたいと思います。

鶴岡八幡宮

鎌倉観光のメインスポットともいえる鶴岡八幡宮。
源頼朝の祖先である頼義が由比ヶ浜に建てたものを頼朝が現在の位置に移し、今に至ります。

境内には、源氏の繁栄と平家の滅亡を祈願した「源氏池」「平家池」や、妻・北条政子の安産を祈願した「政子石」、頼朝と息子・実朝を祀る「白旗神社」、静御前が舞を舞ったと伝わる「舞殿」など、源氏と関連の深い名所や史跡がたくさんあるので、かまくらを訪れた際はぜひ参拝してみてください。

境内にあるカフェやミュージアムもおすすめです。

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萬福寺

兄・頼朝に追放された弟・義経ゆかりのお寺。
義経や弁慶に関する文献の展示や襖絵を見ることができます。

中心地からは少し離れますが、兄が将軍になり権力を握っていくなか、北国に落ち延びるしかなかった弟の悲劇的な運命を垣間見ることができるスポットです。

頼朝の墓

頼朝の墓は、彼の死後「法華堂」と呼ばれることになります。
石段の上に墓があり、そこから頼朝の時代の幕府の政庁があった「大倉御所」も見ることができます。

「宝治合戦」で敗れた三浦一族はここに立て籠って自害しました。

法華堂は13世紀には火事で焼け落ち、今の墓は島津氏が江戸時代に整備したものです。
余談ですが、島津氏の祖は源頼朝の御落胤であるという伝承があるそうです。

和田塚

「和田合戦」で滅亡した和田氏の戦没碑がある場所です。

鎌倉幕府樹立に大きく貢献した御家人であり、初代の侍所長官を務めた和田義盛ですが、源頼朝の死後に実権を握っていくこととなる北条義時と対立。
和田氏は武力衝突の末義時に敗れ、一族滅亡の運命をたどります。

覚園寺

幕府の執権として北条氏が大きく勢力を伸ばす土台を作り上げた2代執権・北条義時が建立した大倉薬師堂を、6代執権・貞時が建て直したもの。

なお、義時は大倉薬師堂を建てたそのすぐ翌年の1月、3代将軍源実朝が鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席した帰りに、甥によって暗殺されています。

宇都宮辻子幕府跡・若宮大路幕府跡

時代は3代執権・北条義時の治世へ。
幕府の政の中心は、源頼朝が当初幕府の政庁として建てた「大倉御所」から「宇都宮辻子」へと移動します。

その後若宮大路付近へと移動したとの説もありますが、「宇都宮辻子」から距離が近いため、拡張しただけなのではないかとも言われているそうです。
どちらも現在は残っておらず、石碑が立っているのみですが、興味のある方はぜひ実際に訪れて周辺を歩いてみてください。

問注所跡・政所跡

「問注所」は鎌倉幕府において訴訟に関する業務を引き受けていた場所で、「政所」は鎌倉幕府において幕府の政務を司っていた場所です。

どちらも現在は別の建物が残っており、石碑やプレートが立っているのみですが、駅から徒歩10~15分程度の場所にあるので、ぜひ散策がてら訪れてみてください。

腹切やぐら

最後の執権・北条高時が切腹したと伝わる場所です。

足利高氏(のちの尊氏。足利幕府初代将軍)と新田義貞が挙兵し、鎌倉のまちを制圧した際、ここに一族郎党で立て籠って自害したとされています。
ここに、鎌倉幕府とその執権である北条氏の歴史は終焉を迎えました。

宝戒寺

執権として幕府政治を主導した北条氏が居住していた場所。
鎌倉幕府滅亡後に、足利尊氏が後醍醐天皇の命を受けて宝戒寺を建立しました。

まとめ

鎌倉の源氏・北条氏ゆかりのスポットをご紹介しました。

武家政権の基盤が着実に築かれていく中で、さまざまな悲劇を引き起こしてきた鎌倉幕府。
その盛衰を辿る旅へ出かけてみませんか。

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