見ごたえ抜群!奈良県の名城

見ごたえ抜群 奈良県の名城

奈良県と言えば神社仏閣を思い浮かべる方も多いかと思いますが、実は非常に多くのお城があったことはご存じでしょうか。

大小300ものお城があったと言われている奈良県は、ぜひとも訪れたい優れた名城の宝庫でもあります。

本記事では、奈良県に数ある城のなかでもとくに押さえておきたい名城についてご紹介していきたいと思います。

多聞城

では早速、奈良の名城をご紹介していきたいと思います。
まずは織田信長のもとで奈良を掌握した戦国大名・松永久秀が築いたお城である多門城から。

久秀が信長に謀反を起こすまでは大和支配の軍事・政治両方の拠点として機能していました。

豪胆で華美なものを好んだ久秀の居城と言うことで、イエズス会の宣教師が付けた記録からは絢爛豪華な御殿や茶室、庭園などがあり茶会が催されていた様子がうかがえます。

わが国初の瓦葺・漆喰塗りのお城であるとも言われており、火矢や鉄砲などの攻撃も意識されていたようです。
織田信長が多聞城を徹底的に壊したため遺構はあまり残っていませんが、土塁や堀切のあとは周囲に少し見られます。

東大寺や興福寺といった寺社勢力が強かった奈良。
多聞城のある眉間寺山は東大寺や興福寺といった奈良のまちを見下ろすことができる非常に戦略的に有利な場所。
武家が奈良のまちを支配するにはまず寺社勢力を攻略しなければならなかったという背景がよくわかります。

信貴山城

天文年間に木沢長政によって築城された信貴山城は、信貴山の山頂に置かれた典型的な山城。

城郭の範囲は南北700メートル、東西550メートルにも及ぶ巨大なもので、大和支配の拠点となっていました。
長政の太平寺の戦いでの敗戦によって焼失してしまいますが、松永久秀が大改修を施して圧倒的なスケールの城郭を築きました。

松永時代の信貴山城はたびたび戦場となり、筒井順慶や三好三人衆などと奪い合いを繰り広げました。

やがて信長に反旗を翻した久秀は信貴山城に籠城。
追い詰められて信長が強く欲していた名物茶器「平蜘蛛茶釜」もろとも自爆したという鮮烈なエピソードが残されています。

信貴山城はこれをもって廃城となりますが、朝護孫寺の境内と言うことで大規模な破壊は免れました。
そのため中世山城の城郭の様子が綺麗に残された数少ない城跡のひとつとして知られており、周囲も散策しやすいように整備されています。

大和郡山城

それまで筒井城を拠点としていた筒井順慶が信長に与えられ築いたお城。
豊臣秀吉の弟である秀長が居城としたことで知られており、彼やその跡取りに当たる秀保が主体となって大和100万石にふさわしい城へと作り変えました。

秀長が病没し、秀保が夭折したのちは御奉行の増田長盛が入城。
外堀の普請や土塁などを築きました。

関ヶ原の戦いで西軍が敗北するとそれまでの大和郡山城は取り壊されてしまい、筒井定慶が入城。
大坂の陣後は譜代大名の松平忠明が入城し、大規模な修繕を経て近世城郭へと生まれ変わりました。

江戸時代に置かれた郡山藩の拠点として代々受け継がれた大和郡山城は、最終的には柳沢氏が城主となり、明治維新を迎えその役割を終えます。

建物は残されていませんが石垣や天守台はきれいに残っており、その規模の大きさや城郭構造などを知ることができます。

高取城

さいごは14世紀に築城された山城である高取城。
南朝方の武将であった越智邦澄(おちくにずみ)が築いた当初は掻き揚げ城と呼ばれる典型的で簡素な中世城郭でした。

信長の命によりいったんは廃城となってしまいますが、その死後筒井順慶によって再興。
豊臣秀長の家臣である本多利久が入城するとかなり大規模な近世城郭へと改修されました。

麓から本丸までの高さは日本一。
岡山県の備中松山城、岐阜県の美濃岩村城とともに日本三大山城として挙げられることもあり、周囲30㎞、郭内だけでも20キロメートルという規模は世界遺産の姫路城にも匹敵します。

本多氏のあとは植村氏が入城し、明治維新を迎えて廃城しました。
建物は残っていないものの、高さ10メートルもある高石垣をはじめとした遺構はほとんど完璧に残されており、非常に見ごたえがあります。

宇陀松山城

14世紀半ばに秋山氏によって築城された山城。
東国への睨みをきかせるには絶好の場所に位置しており、その遺構からは天守閣があったことも分かっています。

実は近江小室藩藩主小堀遠州による宇陀松山城の城割(お城を破壊すること)の様子の一端を示す書状が数十年前に発見されました。
城割に関する記録が残っているケースは非常に珍しく、遠州の故郷である長浜にある長浜城歴史博物館に収蔵されています。

まとめ

奈良県の名城についてご紹介しました。

神社仏閣のイメージが強い奈良ですが、実は名城ぞろいの地域でもあります。
建物自体はほとんど残されていませんが、その遺構を訪ね歩くだけでもその規模や防御のための工夫、当時の人々の息遣いを感じることができます。

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