およそ1300年前、天智天皇によって近江大津宮が置かれていた滋賀県。
県内でも有数の観光スポットである近江神宮は、その跡地に当たります。
かるたの聖地としても知られており、実写映画「ちはやふる」のロケ地になったことも注目を集めました。
本記事では、近江神宮の歴史や見どころについてご紹介していきたいと思います。
近江大津宮と天智天皇
まずは、現在近江神宮がある場所にかつて置かれていた近江大津宮と、それを治めていた天智天皇について軽く解説していきたいと思います。
天智天皇が飛鳥岡本宮から近江大津宮へ遷都したのは今から1300年ほど前のこと。
大化の改新の理想に基づいた律令政治における重要な改革が推し進められ、内外ともに争いの絶えない時代でした。
壬申の乱をきっかけに近江大津宮はわずか5年半ほどで終わりを迎えてしまいますが、動乱の最中に遷都が繰り返された時代における近江大津宮は日本史上重要な場所であると言えます。
俗に「大津京」と呼ばれることもありますが、都であった期間の短さなどから「平城京」や「藤原京」などのように条坊制(いわゆる碁盤の目状に整える区画整理)が未完全であり、「大津宮」と呼ぶことが一般的です。
近江大津宮があった場所については江戸時代から長い間議論がなされてきましたが、文献調査や発掘調査などの結果から現在は「近江大津宮錦織遺跡」と呼ばれる場所に内裏があったという説が有力。
ぜひ古代の歴史ロマンを感じながら参拝や散策を楽しんでください。
かるたの聖地・近江神宮
競技かるたを題材にした映像作品や漫画などで取り上げられ、「かるたの聖地」としての側面も広く知られるようになった近江神社。
鎌倉時代に選定された小倉百人一首の巻頭が天智天皇の「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」であることから、天智天皇をお祀りする近江神宮は「かるたの聖地」でもあり、境内の近江勧学館では高松宮記念杯の競技かるた大会も開催されているそうです。
毎年1月には「かるた祭・かるた開きの儀」が行われ、巫女装束の4人の取姫たちが、読師が読み上げる前述の天智天皇の「秋の田の」のかるたを儀礼的に取る行事があり、王朝風の雅な時代を偲びながら粛々と行われています。
その様子は全国に報道されており、ニュースで見かけたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
このように、近江神宮はまさに「かるたの聖地」。
競技かるたをやっているという方も、これからやってみようと考えている方も、ぜひ近江神宮へお参りしてみてください。
近江神宮の見どころ
それでは、近江神宮の見どころについてご紹介していきたいと思います。
表参道
一の鳥居を抜けると表参道に入り、少し進んで石段を登った先には二の鳥居があります。
二の鳥居を抜けると歌碑がいくつか立てられていて、近江神宮がいかに和歌と関連の深い神社であるかを感じることができます。
拝殿・本殿
鮮やかな朱塗りの楼門をくぐると、大きな外拝殿が見えてきます。
さらに進むと内拝殿があり、その上横にそびえるのが本殿。
おみくじやお守りなどは楼門近くの授与所でいただくことができますが、絵馬掛けやおみくじ結びは外拝殿前にあります。
神座殿・かるた額
結婚式やご祈祷をはじめ、さまざまな行事が行われる神座殿。
かるた祭もこの場所で行われます。
神座殿の中庭には「かるた額」が掲げられており、中村北潮の揮毫で北海道の下の句かるた札のように百人一首の下の句のみが書かれているものです。
時計館宝物館・日時計
近江大津宮に漏刻(水時計)が設置され時報を行ったことから、時計にも深く関連する神社であることが知られている近江神宮。
1階部分の時計館には高松宮家(有栖川宮家伝来)から下賜された懐中時計をはじめとするこれまで奉納されてきた貴重な時計の数々が、2階部分の宝物館には重要文化財である曾我蕭白の「楼閣山水図屏風」をはじめ神社が所有する数々の貴重な品々が、それぞれ展示されています。
建物の前には日時計が設置されています。
漏刻
前述の通り、天智天皇が創設した漏刻。
現在のものは昭和にオメガ社総代理店が奉納したものです。
古代中国火時計
古代中国で使われていたと言われている火時計。
こちらはロレックス社による奉納です。
まとめ
近江神宮の歴史や見どころなどについてご紹介しました。
天智天皇のもと、律令政治における数々の重要な決定が下された近江大津宮。
その跡地に当たり、天智天皇をお祀りする近江神宮は、文芸や学問にご利益があることで知られています。
また、小倉百人一首の巻頭に天智天皇が選ばれていることからかるたの聖地として知られており、また時計の聖地でもあります。
境内は自然豊かで見晴らしが良く、散策にもぴったり。
滋賀県を訪れる際は、ぜひ近江神宮へも参拝に訪れてみてください。